「ルールが変えた戦術」は、1つのルール改正を取り上げ、それがどのような経緯で、戦術の何を変えたのかを解き明かす連載コンテンツ。今回取り上げるのは、1950年に恒久化された自由交代だ。攻撃と守備を別の11人が担うという、いまでは当たり前の形がどうやって定着したのか、そしてそれが戦術に何をもたらしたのかを解説する。
同じ11人が、攻めも守りもしていた
フットボールには長く、交代を厳しく制限するルールがあった。一度ベンチに下がった選手は、決められた時機までフィールドに戻れない。その結果、チームは攻撃と守備を同じ11人でこなすことになる。
この条件の下では、選手に求められるのは「何か1つが突出していること」ではなく「攻めも守りもこなせること」だった。守備だけに向いた体格の選手も、パスを捕ることだけが得意な選手も、60分を通して両方を担える範囲でしか使えない。
戦時下に始まり、二度の揺り戻しを経た7年
自由交代は、狙って導入されたというより、事情に押されて始まった。
1943年 ― 応急措置として
1943年4月7日、NFLは自由交代を認めるルール改正に踏み切る。戦時下で選手が不足するなか、力の落ちる選手にも長い休息を与えられるようにする、という趣旨だった。戦術のための改正ではない。
1946年 ― 3人までに戻る
戦争が終わると、このルールは残らなかった。1946年には一度に交代できる人数を3人までとする制限が入り、元の考え方へ引き戻されている。
1949年 ― 1年限りの試行
ところが1949年、無制限の自由交代が、あらためて1年限りの試行として復活する。この時点でもまだ、恒久的なルールではなかった。
1950年 ― 恒久化
そして1950年1月23日、無制限の自由交代が恒久的なルールとして採用された。1943年の応急措置から数えて7年、途中で二度の揺り戻しを挟んでいる。
専門化が、攻守それぞれを別の仕事に変えた
交代が自由になると、選手は限られた数のプレーと技術に集中できるようになる。攻撃だけをする選手、守備だけをする選手、という分け方が成り立った。ただし、そこから起きた変化は攻守で同じではない。
オフェンス ― 投げる・捕るなどの攻めの役割に特化
それまでの選手は、60分を通して攻守の両方をこなせる範囲でしか選べなかった。守備を担わなくてよくなれば、その制約が外れる。クォーターバックは司令塔とパスを投げる役割に特化すればよく、レシーバーはパスキャッチやランブロックに専念できる。
覚えるべきプレーの数が絞られたことも効いている。一人ひとりが持つ引き出しを深くできるようになり、攻撃が込み入った設計を抱えられるようになった。
ディフェンス ― 守りに特化した設計が可能に
守備の側では、変化の質が違う。それまでの守備は、攻撃をこなす同じ11人が担う「もう半分」でしかなかった。攻守が別の人間になって初めて、守備に特化した設計が可能となる。ラインバッカーやディフェンスバックを軸に据えた構造や、前線の並べ方の型は、この土台の上に乗っている。
フィジカルの考え方も、攻守ともに変わった。60分を戦い抜く持久力ではなく、担当する役割に必要な速さや強さで選手を選べるようになる。専門化が進んだ先には、キックのプレーだけを担うスペシャルチームという3つ目のユニットも置かれるようになった。
大学は一度、元に戻した
この形が一本調子で広まったわけでもない。大学側では、1953年に自由交代が廃止され、ふたたび同じ11人で攻守を担う形へ戻されている。無制限の交代が戻ってくるのは1960年代の半ばだ。
つまり、攻守を別の11人で戦うという発想は、当時まだ「そうあるべきもの」として受け入れられていたわけではない。プロが1949年以降それを手放さなかったことのほうが、むしろ例外的だった。
まとめ
オフェンスとディフェンスが別の11人である理由は、競技の設計思想から導かれたものではない。戦時下の選手不足に対する応急措置として始まり、二度の揺り戻しを経て、7年かけて定着したルールの産物だ。
そして戦術は、この交代ルールの上に乗っている。攻撃が1つの仕事に絞った選手で組めるのも、守備に特化した設計が可能なのも、役割ごとに必要な速さや強さで選手を選べるのも、同じ11人が60分を戦う必要がなくなったからだ。いまフィールドで見ている攻守の分業は、1つのルール改正の帰結として今の形になっている。